「障害者」は同じとか違うとかの話−私がであった人たち
2010 年 3 月 8 日(前のエントリーに対する三浦小太郎さんのコメントにレスを書いていましたら、長くなっちゃいましたので、例によってエントリーとしてスピンオフいたします。できるだけ先に前のエントリーと三浦さんのコメントに目を通してからお読みください)
<以下本文>
三浦さんの視点も一つの切り口として、書いておられることに異議はありません。というか、新左翼系はむしろ「障害者」と健常者を社会的に「違うもの」として、対立的に論理を構成することが多かったくらいではないかな。私はそれも間違っているとは思わないです。その上で、また違う切り口というか、私の狭い体験で語れば「違う」も「同じ」もどちらもその通りだと思うのです。そのあたりの理屈はあんまり深く考えていないのです。重要な論点だとは思っていないというか。自然体で考えればいいじゃんというか。
これは適切なたとえであるかどうかは迷いますが、男と女だってもちろん違う。違うんだけど同じ人間であることは変わりないでしょうという。「同じ」を強調しすぎると欺瞞になるし、「違う」を強調すると差別を正当化することになる。そのことは三浦さんもわかって書いておられるんだろうと思う。でも、実際には「同じ」→「同じなはずなのに××」という側面から考えたほうが現状では正しい結論になることが多いと思います。
つまり基本的に、人種、性別、国籍、門地、など本人に責任のない事実で生存権保障やその他の事項で不利益な扱いをするのは差別であるというのが原則だと思う。だから私に対するのと全く同じに扱われた結果として「障害者」に年金が支払われるのだと理解しています。まあここまでくると、「違う」も「同じ」も論理の入り口にすぎず、どちらから入っても同じ結論を導けそうですが、今回はそのあたりの論理とか理屈の話はまあいいです。ここはそういうことを語るブログではありませんしね。
◆学生時代における出会い
狭い個人体験であまりわかったようなことを書くのが嫌なので言わなかったけれど、先のイブン・ハキームさんのコメントに対するレスで書いたのは「障害者」とのおつきあいの中で実際に思ったことです。
私がいた一つ目の大学には福祉系の学部があった関係で、全学生の1割が「障害者」だった。キャンパスに「障害者」がたくさんいたし、その他に福祉系のサークルなどもたくさんあり、養護学校の子供たち(主に知的「障害者」)とか、大学とは直接関係のない子供たちや若者も含めて、常時大勢の「障害者」やボランティアがいました。常に視界にあるといっていい状態。そうなるともう、同じも違うもくそもない、学内外を含めてもうそれが日常生活なんですね。違うけど同じ、同じだけど違う。ごく自然なんです。
わかったようなことを書きたくないという意味は、これは大学という閉じられた空間の中でのことであって、生活上も施設は最新式のバリアフリー。手話通訳者をはじめとして、周りにいる人は全部ボランティアみたいなもの。そしてここにいるのは、まだ大学に行ける程度には比較的恵まれた部類の「障害者」だったということです。一歩社会に出れば、その諸関係の中でまた違う現実がある。私はそれを充分に知らないわけですが、トイレにさえ簡単にはいけないわけです。大学なんて夢のまた夢みたいな生活をしている「障害者」だっている。
もちろんそういう社会的なことを考えたり訴えたりしている人もいましたが、そういうのは左翼系が多くて、まあ、そのへんが左翼系の果たしてきた(もしくは果たすべき)社会的な役割かなと思っています。三浦さんには申し訳ない(のか?)し、今はどうかは知らないんですが、こういう時に右派の人って社会問題として考えることができず、「恵まれない人に愛の手を」とか権利の実現ではなく「施し」みたいなことしか言えない人が、当事は多かったかな。それじゃ「障害者」はうつむいて生きるしかなく、前をむいて自分の人生を生きようとすると叩かれるようになってしまう。
しかし考えてみれば、あらゆる施設がバリアフリーで、そのへんを歩いている人がみんな当然にボランティアみたいに手を差し伸べて、差別的な言動は非常識あつかいされるのが当たり前。それくらい、みんながやろうと思えば今すぐにできる程度のことばかりですよね。そういう場所って、きっと「障害者」に限らず誰にとっても居心地のいい社会だと思うのですがねえ。どちらにせよ、あれはあれで貴重な経験だったと思います。
余談になるけれど、この頃の思い出は、同級生の聴覚「障害者」の女性と、やっと一回だけデートにこぎつけて映画(字幕付の洋画)を見に行ったこと。結局ふられたけど(泣)。その時には活動家でしたが、他のみんなには内緒でデートにいった。それともばれてましたかね?数年後に労働者になってから「オルグです」とか言って、実際には情宣さぼってデートしてたことは、2ちゃんねる掲示板で「ばれてたよ、草加さん」とか言われて、ありゃまあと思ったけど(笑
あと、「障害者」の人もボランティアに出かけたりするわけですが、学童保育の子供たちの面倒をみるボランティアとかで、行った先の子供たちが、初めて見る「障害者」にけっこう差別的なことをあっけらかんと言ったりするんです。私だったら怒ったり、大真面目に説教したりすると思うのですが、「障害者」の人は怒るんではなくて、「つっこみ」をいれるんですね。まあ、これは関西特有なのかもしれんけど。んで、そのうち最後は仲良くなる。友達になるともう(少なくとも意識的なレベルの)差別なんてできない。まじめな話をするとすればそれから。
んで、差別的なことを言わないだけで、私も精神構造はやっぱりこの子供たちと同じだったんですね。
「違う!どう接したらいいんだ?」⇒「なんだ同じやん」⇒「やっぱり違う」⇒「けど同じなんだ」という経過。
そのあたりは何と言うかなー。つまり中身は自分と同じなんだけど、条件が違う。自分がそういう条件になったら、あるいはそういう条件で育ったら、どう思って何を考え、どういう行動をとったかなということだと思う。そこでは想像だけじゃなくて、身近に接しないとわからないところがあるとは思いますが。でも、そう考えると、「障害は個性である」というのは、それだけ聞いてもなかなか真意が伝わらないかもしれませんが、多用されているだけのことはある、わりと上手な表現だと思うのです。
◆社会人になってからの出会い
その次に出会ったのは会社でのおつきあいでね。途中から大勢の「障害者」の人たちと一緒に働くようになった。主に現業部門におられたのだけど、最初は会社が補助金狙いで雇ったのです。ですがそのうちにつきあいも深まって、つてを通して徐々に人数も増えていった。知的「障害者」の人も数人おられました。ここで出会った「障害者」は、大学で出会った人たちはとは全然違うのね。社会人と学生の違いということなんだろうけど。一番仲良くなったのは、知的「障害者」の18歳の男の子と、下半身不随の車椅子のおっさん。
この車椅子のおっさんはキャバクラ大好きのあきれるドスケベでした。補助金とかも「くれるちゅーもんはもろといたらええねん」の一言で特に何も気にしてませんでしたし、私はそれくらいでちょうどいいと思いますよ。ただし、このおっさんの場合は福祉制度を悪用しようとして逆に補助金を止められてた。それはやりすぎ(笑)。けどめっちゃ明るくて、私なんかよりはるかに行動的で、車椅子用の自動車に大人用紙おむつを積んで、週に一回ペースでキャバクラに出かける。普段は意外と常識人で職場でも好かれてた。私もよく一緒に飲みにいき、女の子の話とか聞かされた。起業を考えているとか言ってたけど、今どうしているかなー。
反対に知的「障害者」の男の子のほうは、おっさんとは逆の性格で、まじめで誠実なんだけど、ちょっと暗いといっていいくらいでした。よく一緒に話しながら仕事をしましたが、自分の「障害」にコンプレックスを持っていて、そのことが見ていて辛かった。人と「違う」ところがあることを、そんなに気にやんでうつむく必要はないんじゃないかと、左翼的な発想とは関係なくごく普通にそう思った。おっさんの陽気さと開き直りを少しわけてやりたかった。だから私はやっぱり、理屈ではなくて、素直な気持ちとして「障害」という言葉には「」をつけます。他に言い方はないのかなと。
まあ、当たり前のことで言うまでもないから三浦さんも言っておられないんですが、「障害者プロレス」や「障害者パンクバンド」も含めて、いろんな人がいます。その親や家族もね。貧乏人も金持ちも、スケベも紳士も、左翼も右翼もみんないる。それは在日と言った場合も同じ。それ以外の人とは違うんだけど同じ。同じなんだけど違う。
この投稿の続きを読む »


旗旗(はたはた)は草加耕助(そうか・こうすけ)が運営する個人サイトです。
2010年03月03日
9
[2010年03月14日01:25]
淫魔日記 少し長かった2.27







(継続中) - 3月14日
3月14日
3月15日


















